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日本刀
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酒呑みな鬼と一振り

2019.10.01

夏の蒸し暑さが少し残る夜。灯りを消して布団に入ると、まっくらな中からミシ…ミシ…と音が聞こえてくる。

天井からだろうか? それとも部屋の隅から? 誰かが歩いて床をきしませたのかも。そう思っても誰もいない。

けれども私は安心して目を閉じる。私は空気が暖まれれば膨張することを知っているし、木材は乾燥すると縮んでしまうことを知っているからだ。

そう、この奇妙な音の正体は、既に科学的に解明されている「家鳴り」である。

 

しかし、現代のように科学的知識が普及しておらず、地球が自転していることすら誰も知らない、ましてや家鳴りの原因が温度や湿度だなんて大抵の人は知る由もない、そんなはるか昔だったら、この音はどう聞こえただろうか。

何故だかわからないけれど家がミシミシ鳴っている。誰かがいるかと思いきや誰もいない。ふつうに考えてけっこう怖い。原因究明のための情報が圧倒的に足りない中、人々が思い至ったのは

「えっ、もうこれ幽霊か妖怪のしわざでは…?」 

である。

そう、1000年前の平安時代はそんな時代だった。

 

地震・台風・不作・疫病。平安の時代は戦こそないものの、人々は多くの災厄に悩まされていた。その当時、人知を超えた災厄は、神や妖怪といった存在によるものと信じられることもしばしばで、人々の生活の中には陰陽思想や呪術、百鬼夜行の世界観がふかく浸透していた。かの有名な安倍晴明はこの頃に活躍した人物である、といえば、当時の雰囲気が掴みやすいかもしれない。

 

そんな世情を背景に、アヤカシ切りの名を持つ刀剣も数多くうまれた。その中でも名刀としてその名を轟かせた最も有名な刀の一振りに、童子切安綱(どうじぎりやすつな)がある。

今回はこの童子切安綱について少し紹介させてほしい。

 
童子切安綱 画像出典@刀剣ワールド 
参照ページhttps://www.touken-world.jp/tips/25027/

童子切とはこれまた物騒な名前であるが、この童子とは丹波(現在の京都)大江山に住み着いたとされる鬼、酒呑童子(しゅてんどうじ)の名を由来としていて、この鬼を斬ったことから童子切の名がついた。

 

一説によるとこの酒呑童子、もともとは外道丸という美少年で、それはそれは女性にモテたらしい。しかし、送られた数多くの恋文を読むこともなく放置したせいで送り主の娘が返事を待ち焦がれ死んでしまい、その怨念に取り憑かれた挙句鬼になってしまったという。

醜い鬼となった外道丸は、人里離れた丹波大江山に住みつき、大酒飲みであったことから酒呑童子と名を改めた。そして夜ごとに若い娘をさらっては仕えさせたり喰い殺してしまったり、その強悪非道な所業に都の人々はほとほと困り果てていた。

 

時の帝である一条天皇はそのことを憂い、源頼光に酒呑童子討伐の命を下す。

源頼光は山伏に変装して酒吞童子のもとを訪れ、酒好きの童子に毒酒を飲ませる。そうして童子が寝入ってしまったところで、頼光はゆうに自分の3倍はあったであろう巨体の首を、愛用の太刀を用いてスパーンと斬り落としたのだ。

この太刀が童子切の名を得る。

 

童子切安綱は逸話だけではなく、その姿も実に豪壮で美麗である。


画像出典@刀剣ワールド 
参照ページhttps://www.touken-world.jp/tips/25027/

刀身は細身で腰反りが強く、鋒(きっさき)に向かって身幅と反りが小さくなる。これは平安中期に特有の形状だ。また、やわらかな潤みのある鉄は古刀に独特なもので、刀身にいっそうの奥行きや趣深さを出している。

実はこの太刀、刀剣の中でも名刀中の名刀としてその名を馳せる、「天下五剣(てんがごけん)」の一振りとしても有名である。

その美しさから、のちに豊臣秀吉、徳川秀忠など、名だたる武将の手を渡り歩き、1933年には重要文化財に、1951年には日本刀で初めて国宝に指定された。

1000年経った今でもその堂々たる威風は健在で、現在は東京国立博物館に保管されている。

 
東京国立博物館

 

先ほど紹介した童子切安綱の逸話について話を戻すが、お察しの通り、この話はフィクションであり、数多くある酒吞童子御伽噺の一説にすぎない。

しかし、「事実は小説よりも奇なり」 という言葉があるように、童子切安綱に関する逸話についても、ただのフィクションと割り切ってしまうには、いささか早計でもったいない、そんな面白さがある。

さすがに鬼の存在はフィクションだと思いたいが、他の登場人物や童子切は実在する。さらには頼光が大江山に鬼退治に向かう際に書いたとされる祈願文も残っており、これは実際に一条天皇に酒呑童子討伐の命を受けたということの証明になりうる。

他にも、酒吞童子の首を埋めたとされる場所があったり、関連する話は枚挙にいとまがない。

なんだか物語の中のフィクションとノンフィクションの境界線があいまいになってはこないだろうか。なにぶん1000年も前の話であり、後付けで発展した話も多くあるだろう。そうして逸話が語り継がれていくうちに、真実がどこにあるのか分からなくなってしまったに違いない。

 

1000年前の京の都では本当は何があったのか、今でも多くの歴史研究家が時を辿り考察を重ねている。

そんな中で真実を知る唯一の存在は、1000年の時を経て現存する童子切安綱だけなのかもしれない。こうして思いを馳せて楽しむことが出来るのもまた、刀剣の魅力の一つである。

 

 画像協力
 

 

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