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哲学
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あの日あのわたしの隣に座ったあのおじさんへ

2019.10.15

町のさびれた中華料理屋でテレビを見ていたら、隣に座っていたおじさんがわたしのザーサイを当然のような顔をして食べていた。

えっ、と思う。
ザーサイは、餃子のタレを入れるくらいの小さな皿に盛られていて、二人分にしては少なすぎる。わたしはまだ二口くらいしか食べていない。どきどきしながら隣をうかがうと、おじさんは仕事帰りのサラリーマンといった風で、おかしな様子もない。テレビをぼんやり見上げながら、ポリポリとザーサイを食べている。

ちょうどその時テレビでは、トランプが大統領に就任したというニュースが無音で流れていて、喜ぶ人たちとそうでもない人たちの顔がそれぞれ映し出されていた。色んな人が、色んなことを言っていて、色んな表情をしていた。お店のおばちゃんも、他のお客さんも、隣のおじさんも、何を言うでもなくそれをじっと見つめていて、気だるく時が過ぎ去っていった。

寒かったか、暑かったか、いい天気だったか、雨だったか、覚えていない。
やけにのっぺりした映像と、間の抜けたポリポリという音だけが頭に残っている。

作用する、ということについてよく考える。

電車で、見知らぬ人の隣に座る。その時必ず、自分が隣の人の運命を変えてしまうのではないかとひどく緊張する。たとえば、隣の人は大事な試験を控えていて、実力的には余裕で合格なのだが、わたしが隣に座ったことによって空気の流れが変わってしまい、ウイルスが入り込み、試験当日病気になってしまう。もしくは、何か考え事をしていたにもかかわらず、わたしが隣に座ることで集中力が一瞬途切れ、何かイノベーティブなアイディアが失われてしまう。

 

「風が吹けば桶屋が儲かる」という言葉がある。
この世界は、思わぬ作用に充ち満ちている。小さな意図せぬ挙動が、大きな出来事を引き起こしたり、反対に歴史的な事件が、すぐに忘れてしまうようなささやかな出来事につながったりもする。

さっきまで飲んでいた缶コーヒーを捨てるために、少しだけ遠回りして歩くとき。修正テープを買うために、文房具屋に立ち寄るとき。ストロベリー味ではなく、ブルーベリー味のヨーグルトを買うとき。「へえ、そうなんだ」と友だちに言うとき。
ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきが、テキサスの竜巻を引き起こすように、わたしの何気ない行為が、隣の誰かだけでなく、世界全体にまで影響を及ぼしていく。
その途方もなさに、時々頭がぼうっとする。

わたしたちは無力で、無力ではない。
わたしが外出するだけで、指を鳴らすだけで、電気を点けるだけで、世界は変容してしまう。
そんなことを想像する。

 

わたしたちが生きる社会では、毎日のように悲惨な事件が起こる。
コメンテーターやネットのコメント欄には、犯人を憎悪する言葉が並べられる。犯人を厳しく罰して欲しい、絶対に許してはいけない、この人は異常者だ、と憤りが溢れる。わたしはその言葉に時にうなずきながらも、どこかでやましさを感じもする。


  実行犯が億人組でそのうちのひとりが僕である可能性 / 岡野大嗣


犯人の顔写真が映し出されるたびに、わたしはこの短歌を思い出す。
わたしが、何かしらの形で動因のひとつになっていたとしたら。
実行犯と、知らないうちに静かな連帯を育んでいたとしたら。
わたしたち全員が、共犯者だとしたら。

 

望むと望まざるとにかかわらず、わたしとあなたは互いの音を響かせ合っている。
そんなことを考えてまた、頭がぼうっとする。

だが、幸せな想像をすることもできる。

わたしの小さな行為がさざ波を生み、デンマークの青年に幸福が訪れる。ブラジルの老人に嬉しいことがある。もっと言えば、わたしが文章を書いて、どこかの誰かの世界が少し変わる。そんなことだってあり得なくはない。

作用とは不思議なものだ。連関とは不思議だ。わたしたちは皆ひどく個別的で、孤独でありながら、信じられないほど濃密に関係している。

 

 

中華料理屋のおばちゃんが、黙ってわたしの目の前に豚肉とピーマンの細切り麺をどしんと置く。相変わらずテレビではトランプの大統領就任を報道していて、わたしはこの歴史的な出来事が、どれほど複雑で多くの物事を招くのだろうと想像する。おばちゃんは続けて、隣のおじさんにレバニラとご飯を置き、少し離れた場所に座っている男性に、レバニラとご飯とザーサイの小皿を置いた。

あれ?と思う。
ザーサイは気が付いたら、すっかりおじさんのエリアに置かれている。というか、そもそもザーサイはおじさんのエリアに置かれていたような気がする。

 まさかこれ、おじさんのザーサイ?

当然のような顔をして食べるな、と思ったが、もともとおじさんのザーサイなのだから、当然のような顔をするのは当然である。

トランプのニュースに夢中になって、小皿が自分のものかどうかも忘れてしまったのだ。まさかトランプも、自分の大統領就任が、日本の小さな町の汚い店でこんなみみっちい犯行を引き起こすなんて夢にも思っていないだろう。謝るタイミングも完全に逸した。


 ああ。
 おじさん。すみません。


だが、一人喫茶店で謝罪の言葉をタイピングをしながら想像する。
もしかしたらこの言葉も、この複雑で不可解な連関を通じて、届くかもしれない。

 

あの日あのわたしの隣に座ったあのおじさんへ。

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