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哲学
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道徳を揺さぶってごめん

2019.06.15

教科書を忘れて、授業に出ている。

先生が「91ページをひらいて」と言う。
わたし以外の受講生が、がさごそとバッグから教科書を出して、ページをめくり出す。
わたしには教科書がない。

少し嘘をついた。
教科書を買うのを忘れて、授業に出ている。

その本が、自分とは全く関係のない専門書だからとか、ページ数も極端に少ないからとか、それなのに3800円もするからとか、担当の先生が執筆しているという理由で買わされているのではないかといぶかしんでいるからとか、それでも買おうとレジに持って行ったらお金が足りなかったからとか、様々な理由があったわけだが、とにかくわたしは教科書を持っていない。

そして、理由はたくさんあるにしても、教科書を持たずに授業に出るということは、受講生としての義務に反している。義務を果たしていない受講生ができることはせいぜい、教科書を持っているふりをするか、ノートをはげしく取ることで授業態度を向上させるかのどちらかである。

次は、110ページをひらいて、と先生が言う。
鞄に入っていたチラシの裏に「110ページ」と、とりあえず書き込んでいたら、チラチラとこっちを見ている誰かの気配を感じた。

隣に座っている男性が、心配そうにこちらを見ているのだ。

教科書を右隣(わたしだ)に少し寄せたり、やっぱり引っ込めたり、あえて閉じてみたり、と落ち着かない。

おそらく彼は、わたしに教科書を見せるべきかどうか、葛藤しているのだろう。 だが、彼はわたしと別に知り合いではない。先生の声だけが響く中で、見知らぬ女に「見ますか?」と声をかけることは、勇気のいることだ。

先生が教科書を音読してから、3分ほど経過。
彼は、今さら声をかけるのもどうなのか、とタイミングについても考え始めたようだった。いっそのこと、とでも言うように自分の腕の中に引き込み、熱心に読み始める。だが、それはそれでどうなのか、とでもいうように再びわたしの顔をチラチラと覗き込む。

わたしは彼の挙動を肌で痛いほどに感じながら、「道徳を揺さぶってごめん」と思った。

 

彼の中にはおそらく、困っている人を助けるべきだ、という道徳がある。だが同時に、受講生としての義務に反している、ノートすら持っていない見知らぬ女に手を差し伸べるべきなのか、という疑問もあるだろう。

申し訳なさが極まってしまったわたしは、思わず机に突っ伏してしまった。ごめん! やさしい人! わたしは寝ている人なので話しかけなくて大丈夫!!

真っ暗な腕の中でじっとしていると、左隣で、ふっと何かが緩むのを感じた。彼はきっと安心して、このあとも授業を受けることができるだろう。これで、彼を苦しめずに済むだろう。

わたしはぼんやりと、これでいいのだ、と頭の中でつぶやいた。

道徳的なふるまいをしている人はうつくしい。

街を歩いていて、誰かが何かを落としてしまう。後ろを歩いていた男性が、考えるよりも先に走り出し、何かをぱっと拾い上げ、持ち主のところへ駆けてゆく。落としましたよ、と声をかけ、そのまま名乗りもせずに歩き出す。

何という無償の行為! ベンチでその様子を見ていたわたし。ぶわわわっと涙があふれる。向こうでは、信号がない横断歩道で、車がいつまでも途切れない歩行者を待っている。ある女性が、それに気づき、足を止めて車に「どうぞ」と合図する。運転手は、手を挙げて「ありがとう」と微笑む。

何という損得を超えた純粋な親切! ふたたび、わたしはぶわわわっと涙をあふれさす。

隣にいる人が、泣きすぎだよと呆れている。

道徳とは何か、倫理とは何か、わたしは未だによく分からない。
とはいっても、わたしは倫理学が専門なので、そのことをテーマにした授業やゼミをたくさん受講したのだった。

ある倫理学のゼミで、おばあさんに席を譲るという行為についての話になった。先輩たちや先生が、熱心に議論しあっている。

ながいさんはどう思いますか、と不意に話をふられてしまう。
席を「譲る」という行為をなぜわざわざするのか、それだったらそもそも座ることをせずに、席を自分以外の他者に開放しておくことこそ善ではないか、というようなことを、もたつきながら言った。わたしは、おばあさんに自分の道徳的なふるまいを「見せる」ことを恥じていたのである。

へえ、とかふうん、とか先輩たちが反応を示した。
頭の中で何かを整理しているのか、宙を見つめている後輩もいる。

  いいえ!!

突如、鋭い声が響く。先生の声だった。

  ながいさん、それはコミュニケーションの拒絶です!   
  あなたは倫理的空間への介入を拒んでいます!!

いつもは穏やかな先生が、真剣なまなざしでわたしを見つめていた。
誰も言葉を発することなく、ぴんと空気が張り詰めた。

先生の背後にある窓の向こうからは、萌え立つ新緑の匂いがした。

見知らぬ人と、コミュニケーションすることは難しい。
できれば、よく知っている人たちと一緒によく知っているものを共有したり、自分一人だけで何かに没頭していたい。

しかし、落とし物を届ける男性も、車に道を譲った女性も、彼らに共通する行為は、他者とのコミュニケーションだった。他者に、関わろうとする強い意志と、その無償性だった。

そして、教科書を見せてくれようとした彼も、わたしに関わろうとする仕方で、わたしとコミュニケーションしていた。道徳に揺さぶられながら、わたしと関わろうとすることで、関わっていたのだろう。

だが、わたしはそんな空間があらわれる契機というものを、ぱつんと切断してしまった。電車の座席に座らずに、ドアの端っこで身を縮ませていたあの時と何も変わらずに。

わたしは、机に突っ伏して、教科書のない授業をやり過ごしながら、先生の声を頭の中で何度も響かせて、意識をゆっくりと手放していく。

  いいえ、ながいさん! それはコミュニケーションの拒絶です!

新緑はますます匂いを強くして、わたしを包み込んでいた。

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