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哲学
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我思うゆえに我あれよ

2019.05.18

 

「漫画家さんなんですよね?」

あるビジネスマン向けの講座にゲストとして呼ばれたとき、一人の男性に声をかけられた。

わたしは声が出なかった。なぜなら、この講座は「哲学」の授業で、「哲学研究者」としてわたしの名前が宣伝されており、そのフライヤーを見て申込みをした人たちが、この会場に来ているはずだからだ。

男性はニコニコとわたしの顔を見つめている。

「いいえ」と言ったら彼はがっかりするだろうか。悲しむだろうか。なぜわたしが漫画家だと思ったのだろうか。どんな作風なんだろうか。永井豪と勘違いして来てしまったのか。
色んなことが頭を駆け巡っていると、職業なんて表面的なことを超えて、自分が誰で、何をしていて、どこから来たのか分からなくなった。まるで自分の中から、あらゆる音が消えてしまったみたいだった。

わたしはバカみたいな顔をして黙ったまま、果てしなくからっぽだった。

自分のことを自分で見ることはできない。
これはわたしが幼い頃に自分で導き出したことの中で、「人は死ぬ」ということの次に衝撃的な事実だった。
物理的に見ることもそうだが、ひとは自分のことをあまりよく知らない。他者よりも他者なのが自分である。だからわたしは、自己紹介をするように、と言われると何が「自己」で、何が紹介されるべきなのか分からず、露骨にあたふたしてしまう。

小学生の頃流行ったプロフィール帳。やけに馴れ馴れしいキャラクターたちからの質問(好きな食べ物は? 好きな人は? チャームポイントは?)に、わたしたちは匂いのついたペンやラメ入りのペンで、汚い字を書き込んだものだ。

プロフィール帳は、様々なデザインがあるが、大抵「性格は【  】で、みんなからは【  】って呼ばれているヨ!」と印刷されている。後半は各々ニックネームや、別に呼ばれてはいないがおそらく呼んでほしい名前などを書くわけだが、前半の「性格」の部分は、ほとんど全員が「明るい性格」と書く。

よく考えたら、何なんだこれは。
なぜみんな、判を押したように「明るい」と書いていたのだろうか。

たぶん、わたしたちは自分のことがうまく見えないのだ。 自分の性格なんて、しかも小学校低学年で、分かる訳がないのだ。 だからこそ「明るい」という定型文句に頼ったのだろう。 日常生活を営みながら「わたしって明るいなあ」なんて思うことはあまりなさそうだ。

いや、そもそも、わたしたちに「わたし」なんてものはあるのだろうか。

 

「我思うゆえに我あり」。 哲学者デカルトの有名な言葉である。
はじめてこの言葉を見たとき、わたしは中学一年生だった。
その言葉が含意することは全く分からなかったが、なんだかやけに感動して、その頃なぜかクラスで流行が再燃していたプロフィール帳に、「好きな言葉」は「我思うゆえに我あり」と書いた。ことわざだと思っていた。バカだった。

だが、自己紹介もうまくできないわたしは、「自分があるって思えば、自分はある」という意味だと勝手に解釈して、自身の標語にしようと思った。バカだった。

それに対し、古代ギリシャの哲学者ソクラテスは「汝自身を知れ」という言葉を標語にしていたそうだ。大学生になり、哲学科に入学してそのことを知ったわたしはそのストイックさに驚いた。自分自身のことを知れ、と時空を超えてわたしに突きつけるソクラテスは、何物にも左右されない、確固たる自分、知るべき「わたし」をもっていそうだった。

友だちから「大丈夫だよって言って」とLINEが届く。
彼女は、それこそ性格は明るく、自分で自分のことを肯定できる健全な精神を持っている。だが、時に「天才って言ってください」「励まして」「もうだめだ」などといったメッセージも送ってくる。

これは別に彼女が、普段は強がっているが、本当は弱気な面を持っている・・・・・・といった人間であるということではない。

ホルモンバランスが崩れているだけである。

性格じゃない。ホルモン。
そして、そのホルモンの乱れに、わたしたちは抗うことはできない。
ただその波に身を任せるだけだ。

「明日友だちとホルモン焼き食べる無理難題なイベントがある。わたしのホルモンがいかれてんのに」

友人が言う。
わたしたちはホルモンの奴隷なのだ。

 

わたしは、あまり感情の起伏が激しくない方だと思う。
心は穏やかでありたいし、嫌なことがあってもわりと受け流すことができる。

だが、先週のわたし、ソファで洗濯物にまみれながら号泣していた。

理由は、花瓶に刺さっている薔薇が、少し右に寄っていたから。
靴下が片方、ソファからぽとりと落ちたから。
ソファに座ったまま、リモコンを取りたいが、立ち上がらないと取れないから。
なぜあるものはあり、ないものはないのか、分からないから。

一通り激昂し、号泣し、泣き疲れたあと、スマフォを手に取り、アプリを起動させる。ホルモンバランスを管理する「ルナルナ」というアプリが、今日のわたしの「指数」は20点満点中3点であることを告げてくれる。「ココロ」という項目をタップすると「周りの人への言動にもイライラが伝わりそうです」など、適格なお告げも書いてある。

次の日には、何食わぬ顔で洗濯物をたたんで仕事に行った。

ホルモンに支配されるわたしもわたしなのだろうか。
わたしとは、一体、何なのだろうか。

汝自身を知れ、と突きつけるソクラテスも、我思うゆえに我あり、と断言するデカルトも、かっこいいなと思う。
わたしは「我思うゆえに我あれよ」とつぶやいて寝るだけだ。

 

泣き疲れた夜、わたしは夢を見た。

わたしは、ソクラテスにプロフィール帳を書いてもらっていた。
彼は気むずかしい顔で、長い時間をかけて、キャラクターの質問に対する返答を書き込んでいる。いつまで待っても終わる気配がない。

しびれを切らしたわたしは、ソクラテスの肩越しにプロフィール帳を覗き込む。

「明るい性格」とそこには書かれていた。

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