アフリカも宇宙も
世界が丸ごと遊び場
上原 経験が作品のベースを生み出す。そう思うと、先生には、まだまだいろいろな経験がおありになるのだろうなと想像してしまうのですが。
松本 上京して最初にいたボロ部屋から、少し広いところに移ったときに、隣の部屋に巡洋艦「最上」の副艦長をしていた猿渡中佐がいたのです。彼は、私の部屋にぶら下がっていた小さな模型を見て「こういうのが趣味か?」と訊いてきたんですよ。だから「そうです、こういうのを描きたいんです」と答えたら、戦艦大和の設計図をくれたんです。戦時中だったらこれは、機密書類ですよね。私はその貴重な書類を見せてもらえたから、あとで漫画で描けたんです。構造がわかっていたから。
上原 それはすごいですね。一般の人の目には触れないような書類を手に入れることができただなんて。先生は、見た目や想像で描かれたのではなく、構造を知っていたから本当に描くことができたのですね。
松本 私はメカニックなことにもともと興味があって、機械工学部に行こうと思っていたんですよ。そして今ごろはロケットで火星に入る予定だったんですけれど(笑)。
上原 先生の描く戦艦だったり、機関車だったりが見る人を惹きつけるのは、構造がおさえられていて、リアルに感じられるからかもしれませんね。
松本 私の弟は、私と違ってちゃんと九州大の機械工学部に入って博士号まで取ってね。三菱重工技術所本部の技官になりました。隅田川を走っている遊覧船、ご存じですか?
上原 ヒミコですよね! 僕、子どもができたときに真っ先に乗りに行きました。
松本 船にしては揺れなかったでしょ?
上原 揺れなかったです。
松本 あれは私と弟の合作なんです。私がデザインをして、弟が部材とか機材とか工法とかを担当して。重力安定装置がつけてあるんですよ。だから揺れないの。
上原 乗り心地もよかったですけれど、やっぱり僕は見た目のデザインにぐっときました。先生の近未来的な、あのデザインはかっこいいです。
松本 いつだったか、東京へ来て高速道路を走っていたときに「なんだか、見覚えのある風景だな」と思ったことがあります。ビルの形とか高速道路の入り口とか。それからしばらくして、実際にその高速道路の設計者に会ったことがあるんですけれど、「あの道路は、あなたの漫画を見てつくったんだ」と言われてね(笑)。なんだ、逆だったのか、と。
上原 そのエピソードもすごいですね。先生が未来を描き、誰かがそれを未来で現実のものにする。
松本 アフリカに行ったのも自分にはとても大きな出来事でしたね。
上原 アフリカにはいつ?
松本 「宇宙戦艦ヤマト」を描いていたときですね。最初、視聴率が上がらなくて打ち切られるってことになって、3回分ぐらい描きためて原稿を渡して、アフリカから帰ってくるまでに人気が出なかったらなくなるってことだったんだけど。
上原 人気が出ましたよね?(笑)
松本 東南アジアからインド領に入ってフランスに行ってパリからナイロビに飛んだんです。レオパードロックに登って360度アフリカの大地を見たときは、不思議な感慨に打たれましたね。それから南米もいろいろな街をうろつき回ったし、アマゾンの源流のほうにも行ってマチュピチュにも行ったんですよ。アマゾンの奥地ではワニを2匹殺して食っちゃいました。
上原 壮絶な経験ですね。
松本 今だとできないですね。インド、アフリカ、アマゾンとライフルを抱えてうろつき回った日本人なんて、そんなにいないんじゃないかな。
上原 先生は、なんでも楽しんじゃっている感じがします。連載が打ち切られるかもしれないときでも楽しんでる(笑)。
最終回へ続く
プロフィール
左)松本零士 REIJI MATUMOTO
漫画家、アニメーション作家。1938年福岡県久留米市生まれ。小学生のころから絵を描き始め、1954年15歳のとき「蜜蜂の冒険」でデビューし、同作品は漫画少年第1回新人王を受賞。1957年、福岡県立小倉南高校卒。高校卒業後、レコード・蓄音機などを質屋で処分して旅費をつくり上京。東京都文京区本郷の四畳半の下宿で本格的に漫画家活動に入る。1960年、少年誌に「ララミー牧場」を連載。1972年「男おいどん」で講談社出版文化賞児童まんが部門賞を受賞し、一躍有名になる。1978年「銀河鉄道999」で小学館漫画賞、日本漫画家協会賞特別賞を受賞。のちアニメーション制作も手がけ、「宇宙戦艦ヤマト」「宇宙海賊キャプテンハーロック」はブームを巻き起こす。1994~1997年に隔月刊誌『少年王』に「火聖旅団ダナサイト999.9」を連載、1997年にビデオでのアニメ化が決まる。1998年「銀河鉄道」が17年ぶりに映画化された。同年4月からインターネット上の『web新潮』で連載、1999年アニメビデオ化される。ゲームソフト「コスモウォーリアー零(ゼロ)」の制作に携わり、2001年にテレビアニメシリーズとなる。
1995年、かかみがはら航空宇宙科学博物館名誉館長に就任。1998年に大阪府特別顧問、のち大阪府立大型児童館ビッグバン館長を兼務。2000年には漫画やアニメーションのデジタル化に伴う知的所有権保護のルールづくりのため、デジタル漫画・アニメーション協会設立準備委員会を結成。他の作品に「1000年女王」「アレイの鏡」など多数。2001年紫綬褒章受章、2010年旭日小綬章受章。
右)上原健一 KENICHI UEHARA
Rougyオーナースタイリスト。鹿児島県出身。高校卒業後、山野美容専門学校に進学。専門学校卒業後、都内2店舗を経てHEARTSに入社。HEARTSの店長を務めた後、2001年Doubleオープン時に店長就任。2011年に独立し、南青山にRougyをオープン。 2006年には第17回JHA(ジャパン・ヘアドレッシング・アワーズ)でグランプリ受賞。サロンワークをはじめ、一般誌・業界誌、セミナー等でも独自の世界観を展開し活躍している。