hair.jp

Instagram Twitter facebook
つぎのわたしを探す

SPECIAL CONTENTSスペシャルコンテンツ

時空を超える不思議な縁に
導かれた創作活動

松本 今から5~6年前だったかな、旧友が1枚の女性の写真を送ってくれたんですよ。それを見てびっくりしましたね。自分の描く女性にそっくりだったんです。ダゲレオタイプ※の写真だったんですけれど、思い返せば、彼女のような顔を描こう描こうと努力してきたなと。

上原 その女性、シーボルトの孫娘さんのお顔が先生の描きたい女性の原点の顔になっていたのですね。

松本 美人というだけではないんですね。骨格とか気が強そうでいながら、やさしそうな雰囲気だとか。

上原 そう言われてみると、そうですね。先生の描く女性は、強くてやさしい。

松本 きっと私の先祖も彼女を見て美しいと思ったのでしょうね。その思いが私にまで引き継がれているような気がするんです。その写真を拡大してみると、隣の男性が脇に刀を差していて、それにもびっくりしました。

上原 どんな刀だったんですか?

松本 柄(つか)巻きが白くて、両脇に真鍮でヨーロッパ風の装飾がしてあったんです。間違いないと思いましたね。

上原 というと?

松本 偶然にもその刀は、私が所有していたんです。地方の骨董品店にふらりと入ったときに、店主に勧められて買ったんですよ。「いい刀ですよ」とは言われたけれど、値段が二束三文だったので、気にもとめていなかったんです。でも写真を見たら、その刀が写っている。びっくりしましたね。

上原 メーテルにしてもスターシアにしても、先生の中に何か不思議なご縁があって、あのような美しい女性が生まれているんですね。

松本 「宇宙戦艦ヤマト」のヒロインの森雪にもモデルはいるのですが、この女性にはお会いしたことがないんですよ。

上原 会ったこともない女性がモデルに? それはまた興味深いです。

松本 「男おいどん」を連載していたときによく手紙を書いてくださっていた女性なんです。岡山の音大生か何かで、森木深雪さんというお名前で。印象的だったのは、日記風の手紙だったんです。「今日の森木さんは、何々をしました」というような三人称の手紙。その記憶があったので、ヒロインの名前を決めるときに苗字と名前から1文字ずついただいて「森雪」と名づけたんです。

上原 創作の種というのは、先生のお話を聞いていると、どこにあるのかわからないですね。

松本 わからないから、おもしろいのかもしれないですね。

 第3回へ続く

第3回は7月4日更新です。

※ダゲレオタイプ

1839年、ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールによって発明された世界初の写真撮影法。銀メッキされた銅板上にヨウ化銀を塗布することで感光性をもたせ、水銀蒸気で現像する技法。金属板の表面に直接像を焼きつけるために、複製不可能な1枚限りの写真となり、銀板写真とも呼ばれる。

 

 

 

プロフィール

左)松本零士 REIJI  MATUMOTO

漫画家、アニメーション作家。1938年福岡県久留米市生まれ。小学生のころから絵を描き始め、1954年15歳のとき「蜜蜂の冒険」でデビューし、同作品は漫画少年第1回新人王を受賞。1957年、福岡県立小倉南高校卒。高校卒業後、レコード・蓄音機などを質屋で処分して旅費をつくり上京。東京都文京区本郷の四畳半の下宿で本格的に漫画家活動に入る。1960年、少年誌に「ララミー牧場」を連載。1972年「男おいどん」で講談社出版文化賞児童まんが部門賞を受賞し、一躍有名になる。1978年「銀河鉄道999」で小学館漫画賞、日本漫画家協会賞特別賞を受賞。のちアニメーション制作も手がけ、「宇宙戦艦ヤマト」「宇宙海賊キャプテンハーロック」はブームを巻き起こす。1994~1997年に隔月刊誌『少年王』に「火聖旅団ダナサイト999.9」を連載、1997年にビデオでのアニメ化が決まる。1998年「銀河鉄道」が17年ぶりに映画化された。同年4月からインターネット上の『web新潮』で連載、1999年アニメビデオ化される。ゲームソフト「コスモウォーリアー零(ゼロ)」の制作に携わり、2001年にテレビアニメシリーズとなる。
1995年、かかみがはら航空宇宙科学博物館名誉館長に就任。1998年に大阪府特別顧問、のち大阪府立大型児童館ビッグバン館長を兼務。2000年には漫画やアニメーションのデジタル化に伴う知的所有権保護のルールづくりのため、デジタル漫画・アニメーション協会設立準備委員会を結成。他の作品に「1000年女王」「アレイの鏡」など多数。2001年紫綬褒章受章、2010年旭日小綬章受章。

右)上原健一 KENICHI UEHARA

Rougyオーナースタイリスト。鹿児島県出身。高校卒業後、山野美容専門学校に進学。専門学校卒業後、都内2店舗を経てHEARTSに入社。HEARTSの店長を務めた後、2001年Doubleオープン時に店長就任。2011年に独立し、南青山にRougyをオープン。 2006年には第17回JHA(ジャパン・ヘアドレッシング・アワーズ)でグランプリ受賞。サロンワークをはじめ、一般誌・業界誌、セミナー等でも独自の世界観を展開し活躍している。

SPECIAL CONTENTS

Page top