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コラム > 千歌一歌物語 > ニーナ・シモーン Nina Simone
音楽
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ニーナ・シモーン Nina Simone

2019.10.02

ぼくが2015年にネットフリックスのアカウントを作ったきっかけは、ニーナ・シモーンに関するドキュメンタリー「What Happened, Miss Simone?」を見たかったからでした。このタイトル、つまり”シモーンさん、どうしたんですか?”といったニュアンスですが、彼女のキャリアがなぜ脱線したのかを説明する非常に面白い作品です。

2003年に70歳で亡くなった彼女はノース・カロライナ州の田舎でユーニス・ウェイモンとして育ちました。子供の頃からピアノの才能があり注目されていて、本当はクラシックのピアニストを目指していました。ですが、フィラデルフィアの有名な音楽院に応募すると理由もなく断られてしまいます。その理由は、彼女が黒人であるからとしか考えられず、挫折してしまいます。子供にピアノを教える傍ら、生計を立てるためにバーで演奏し始めましたが、経営者から歌も歌うように指示され歌い始めるとそのヴォーカルに注目が集まります。この活動を知ったら母親が恥ずかしく感じると心配した彼女は「ニーナ・シモーン」という芸名を付けます。

1958年にデビュー・アルバムが発表され、その中の「I Loves You, Porgy」が彼女の最大のヒット曲となりますが、その後年に数枚のアルバムを出す多作ぶりが続き、男性に近い音域の低い声とクラシックの勉強も生かされる流ちょうなピアノ、様々な曲の素晴らしい解釈力が高い評価を得ました。

しかし、人種差別を自ら体験していた彼女は公民権運動の時代にステージの上から時々怒りを爆発させることがあったり、活動家としての印象が強くなり、圧倒的に白人に支配されるメディアから事実上締め出されることになります。その代表例として、当時びっくりするほど刺激的な自作の曲「Mississippi Goddamn」があります。

 

Mississippi Goddamn

 

それでも60年代終盤にはロック・ミュージカル「ヘア」の挿入歌を取り上げた「Ain’t Got No, I Got Life」はイギリスでかなりヒットしました。

 

Ain’t Got No, I Got Life

 

70年代以降は長いことアメリカを離れ、カリブ海、アフリカ、ヨーロッパに住みながら気が向いたら音楽活動をする程度でしたが、1987年にシャネルの香水のコマーシャルに彼女のデビュー・アルバムの中の曲「My Baby Just Cares For Me」が使われることがきっかけで若い世代の音楽ファンが新たにニーナ・シモーンという歌手を発見しました。

 

My Baby Just Cares For Me (1987)

 

ぼくも正直なところニーナ・シモーンという名前は知っていても彼女の音楽をほとんど知らずにいました。その後聞き始めると、10代の頃に他の歌手やグループのレコードでよく知っている曲が実は彼女が作ったレコードのカヴァーであることを知ってびっくり。例えば、アニマルズのヴァージョンで大ヒットしたこれ、ここでリクエストに応えて、あまり乗り気ではない様子ですが…

 

Don’t Let Me Be Misunderstood

 

2006年にデレク・トラックス・バンドのアルバム「ソングラインズ」で聞いてものすごく好きになった曲「I Wish I Knew How It Would Feel To Be Free」があります。調べてみたら色々な人がやっている曲ですが、これも決定的なヴァージョンはニーナ・シモーンです。

 

I Wish I Knew How It Would Feel To Be Free (@ Montreux 1976)

 

彼女が亡くなった後、いくつかのトリビュート・アルバムが作られたり、今でも彼女の曲を取り上げる歌手がいます。日本ではさほど話題に上ることはありませんが、もしネットフリックスのアカウントがあればぜひとも「What Happened, Miss Simone?」を見てみてください。

 

 

 

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