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日本刀
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一振りと一振り

2020.11.14

 日本文化において「本歌」と「写し」という言葉がある。これはもともと和歌の世界において古典的名作とされる作品を踏まえ、より重層的な意味を込めて作歌する「本歌取り」という技巧にちなんだものだ。日本刀の世界では、優れた刀を模して鍛えられたものを「写し」と呼び、模されたもとの刀が「本歌」となる。この二振りには上も下も真も偽もない。
ふたつ前のコラムで遠山の金さんこと遠山景元が長船派の刀の写しを刀工に依頼した話をしたのだが覚えているだろうか。こういった写しにまつわるエピソードは日本刀の歴史の中に数多く存在し、「本歌」と「写し」は当たり前の文化として根付いている。

 さて、今回紹介したい刀はとある「本歌」と「写し」の一対である。鎌倉時代に備前(岡山)で活動していた刀工・長義が打った本作長義、そして安土桃山時代に堀川国広が打った山姥切国広だ。長義作の本作長義が「本歌」であり、堀川国広作の山姥切国広が「写し」である。なぜこの二振りか、というのはここまで私のコラムを読んでくれている方、もしくはプロフィールを見てくれた方はなんとなくお察しかもれない。そう、私がゲーム「刀剣乱舞」のユーザーだからである。刀剣乱舞とはDMM GAMESとニトロプラスが共同開発した刀剣育成シミュレーションゲームだ。今年5周年を迎えたこのゲームはゲーム界のみならず刀剣の世界にも巨大なムーブメントを巻き起こし続けている。刀剣乱舞には開始時に選ぶ相棒のような一振り「初期刀」が存在するのだが、なにを隠そう私の初期刀こそが山姥切国広であるため特にこの刀には深い思い入れがある。なんといったって5年来の相棒だ。

山姥切国広
山姥切国広
画像出典:刀剣ワールド

 

 話はそれたが、私の個人的な贔屓を抜きにしても、二振りとも刀工の代表作であり、なおかつ国の重要文化財指定を受けている「本歌」と「写し」はおそらくこの一対のみとされており、特筆すべき刀といえる。ここ数年でどちらもそれぞれ展示される機会があり、特に山姥切国広は2017年3月に20年ぶりの公開ということもあって足利市立美術館に未曾有の賑わいをもたらした。公開期間は30日であったが、このわずかな日数での来館者数は3万7820人。同館における前年度の来館者数2万4885人を優に超える盛況っぷりだ。もちろん私も足を運んだ。

山姥切国広
山姥切国広展

 

 この山姥切国広が長義の写しとして打たれたのは天正18年(1590)の小田原。今から430年前のまさに小田原攻め真っ最中のことであった。足利領主の長尾顕長が渦中の北条氏と主従関係を誓った折に下賜されたのが本作長義であり、顕長は国広に対しこの長義の刀に銘(刀の茎に彫る、作者の名前や作られた年記)を切り、その写しを作るよう命じたとされている。
 実は本作長義は通称山姥切と呼ばれているのだが、この二振りの山姥切、なぜその名前がついたのか明らかになっていない。もともと長義の刀に山姥切の名が冠されていて、写しである国広はそこから受け継いだとか、逆に国広の刀が山姥を切った逸話を持ったことから山姥切国広になり、それが本歌である長義の名に影響を与えたとか、さまざまな仮説が存在する。研究者たちが議論をかさね、近年ではこの二振りの山姥切の歴史における謎が少しずつだが紐解かれてきているようだ。刀を通じて歴史の新たな真実を探るような、今まで見えなかったものを多角的に探っていく作業は実に魅力的だ(研究者サイドの労力は計り知れないが、、、)。このミステリーの真相がどこにたどり着くのか、ひとりのファンとしてぜひ見届けたい。

  刀とは別に、本歌と写しについて心打たれるエピソードを目にしたのでぜひ紹介させてほしい。武者小路千家15代家元後嗣である千宗屋さんのお話だ。千さんの母方のご実家は大正時代までたたら製鉄を営んでいたそうだ。そしてつい数年前に95年ぶりに製鉄が再開されることになり、その際に千さんの手元に渡った玉鋼(刀の原料としても使用される鋼)を使って茶道の道具である茶杓を作ったという。茶杓は竹製のものがほとんどで、遥か昔には象牙もあったそうだが玉鋼は前例がないらしい。

茶道の茶器
茶道の茶器

 

 製作にあたり千さんがイメージに据えたのは、千利休が切腹を命じられた際に最後の茶会で使用したとされる茶杓、「竹茶杓 銘 泪」。出来上がった玉鋼製の茶杓の銘は「宝剣」とした。この銘は利休の辞世の句の一節「吾這寶剱 祖仏共殺/わがこのほうけん そぶつともにころす」から引用しており、もともとの「祖や仏をこの宝剣で斬り捨てても乗りこえるべし」という意味から由来した「泪の茶杓の写しであるこの玉鋼の宝剣をもって祖である利休すら斬り未来を切り拓く」という力強い意味を持つ銘である。凛然と輝く玉鋼の茶杓が目に浮かんでくるようだ。このエピソードの著述者である橋本麻里さんがこの茶杓の関係性を表した一文があまりに素晴らしいので紹介させてほしい。曰く「両者とも全く異なるあり方ながら、同時に互いを欠いては成立しない。まさに本歌と写しの真骨頂」とのこと。

  写しとは、本歌とは異なる存在でありながら、そのアイデンティティの中には本歌が潜在する。それは写しが自身の存在をもって本歌の輝きを後世に連れていくことに他ならないとも私は感じるのだ。そう、「本歌と写し」とは、お互いの価値を高め合いながら、遠い過去と遠い未来をつないでいく文化の継承である。本作長義は山姥切国広の源泉となり、山姥切国広は本作長義の価値を担う刀となった。この二振りが今後どのように関係性をひろげていくのか。それぞれがよりいっそう輝いていく未来を祈りつつ、これからも見守っていきたい。

 

あとがきにかえて

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