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日本刀
74

遊び人と一振り

2020.06.09

「やいやい、この見事に咲いた遠山桜、忘れたとは言わせねえぜ!」
このセリフを聞いた瞬間、大胆にはだけた片肌に舞う見事な桜が目に浮かぶ。
テレビドラマ「遠山の金さん」シリーズで主人公の金さんが罪人を裁く際の口上だ。パタ-ンはいくつかあれど、水戸黄門の「この紋所が目に入らぬか!」と並ぶ時代劇の名セリフのひとつだ。

 ひとたび町で事件が起これば遊び人の金さんが現れ悪人どもを成敗する。実はこの金さん、ただの腕の立つ遊び人ではなく町奉行である遠山景元が一般庶民に紛れるために使う仮の姿だった。その場では正体を明かすことなく、桜の入れ墨だけを居合わせた者たちの記憶に残して去ってしまう。そして後日奉行所に連れてこられた悪人の前で今度は町奉行として裁きを下す。証人がいないとしらばっくれる悪人どもに口調を荒げてがばっと片肌を脱いで、その肩に舞う桜吹雪を見せつけながら冒頭のセリフを言い放つのだ。

 昨日の遊び人金さんが今日は奉行所で遠山左衛門尉として裁きを下す。この痛快なストーリー展開、さらには被害者ややむなく罪人に加担した人物に対しての人情と男気あふれる金さんのセリフなど、様々な魅力があいまって金さんのドラマシリーズはお茶の間で人気を博した。

 このシリーズの歴史は古く、原作小説の連載やテレビドラマは1950年代に始まっていたようだ。さらに驚くことに、作品の原点まで遡っていくと江戸時代に実在した遠山(金四郎)景元という町奉行をモデルとした講談や歌舞伎に行き着く。金さんは実在の人物だったのだ。しかし実際の遠山景元は名奉行として言い伝えられてはいるものの、ドラマのような破天荒な逸話は残っておらず、私たちがイメージする遠山の金さんはフィクションの中で出来上がった人物像である。


画像出典@刀剣ワールド 
遠山の金さん 山手樹一郎 著
テレビドラマの原作小説とは異なる若き日の金さんの物語
画像出典元参照ページ: https://www.touken-world.jp/tips/7921/

 

 では実際の遠山景元はどのような人物だったのだろうか。まず気になるのが金さんの代名詞とされる肩から背中に咲き誇る桜の入れ墨だが、景元にも彫られていたと確認できるような文献は今のところ出てきていない。景元には荒れていた時期もあったらしいので、若気の至りで彫りものを入れていたかもしれないという憶測をもとに出来上がった脚色のようだ。

 そして町では遊び人の金さんというイメージ、こちらは景元本人の人物像に関係がありそうだ。記録によると随分と長く自由奔放な放蕩生活を送っていたらしい。そのため、小納戸(将軍の身の回りの世話係)として就職した年齢も若くはなく、ある程度の年を重ねてからだったそうだ。

 しかし、ここから景元は順調に出世し民政においてその手腕を発揮する。1840年に北町奉行に就任するとすぐに名奉行としての名を広めた。そのまま順風満帆にばっさばっさと訴状を裁き、華麗に町を整備して平和に暮らしましたとさ、となれば良かったが、北町奉行就任後1年ほどでそうもいかない出来事が起こる。老中水野忠邦によって行なわれた天保の改革だ。この改革によって町民の贅沢が禁止され、江戸っ子の好きな花火・碁・将棋・富くじ、高級な菓子・料理、果てには女性の簪や髪結いに行くようなささやかな楽しみさえも奪われた。自由気ままに生活したことがあり庶民の心が分かる景元にとってこの改革方針はやりきれないものであり、水野に対し緩和を主張した。しかしこの訴えを水野は受け入れなれなかった。

その後も水野忠邦vs遠山景元という対立関係が続く。水野が寄席や芝居小屋を撤廃しようとすれば影元はやりすぎだと反対し、娯楽文化を保護し存続させようと努めた。そんな景元を疎ましく思った水野は町奉行を罷免し大目付に役替えしてしまう。やはり老中の地位と権力は強かった。だがしかし、そんな水野もすぐに老中を罷免されてしまう。市井を顧みない過激な改革が上手くいくはずもなく、政策が失敗に終わったからだ。

 景元はここで南町奉行になる。その後7年間の長きにわたり南町奉行として江戸の保全と文化の振興に尽力した。

 

 さて、実はこの景元、刀にも興味がある人物だったようで刀鍛冶に随分と良い刀を打たせたという話がある。

 水野との対立関係も終わり、南町奉行として務めを果たしていた景元。町奉行の仕事として本所・深川の道路・橋・建物の管理があり、その一環として行った霊巌橋(現在の中央区新川)の埋め立て工事が完成した褒美として報奨金を拝領した。景元はその報奨金で刀を作ろうという考えに至ったようだ。

 当時幕府のお抱えであった石堂是一という腕のいい刀鍛冶を呼び、自身が持っていた備前長船盛光の写しを鍛えるよう依頼する。刀の写しというのは今でいうオマージュ作品のようなもので、見本となる刀の形状や刃紋をなぞらえて作る刀のことである。けっして偽物や贋作という意味ではない。また、景元が写しを依頼した刀は長船盛光とも康光ともいわれ諸説ある。どちらも応永備前の双璧として世に名高い名工だ。

 

剣 銘 盛光
画像出典@刀剣ワールド  
参照ページ: https://www.touken-world.jp/search/30251/

 

脇差 銘 備前長船康光
画像出典@刀剣ワールド 
参照ページ: https://www.touken-world.jp/tips/19264/

 

 是一が入念に鍛え上げた一作は大変に出来が良く、試し斬りでは死体の一ノ胴を一刀両断し、この切れ味に喜んだ景元は茎(なかご/刀身のうち柄に隠れている持ち手の部分)に一ノ胴裁断という彫りを入れさせた。試し切りでは罪人の死体を使用するのだが切れ味にも名称があり、例えば二ツ胴とは二つの胴体を重ねて裁断したという意味だ。その他斬る部位によって一ノ胴・二ノ胴、袈裟斬り、両車などがある。ちなみにこのとき試し切りを依頼した人物の名は山田朝右衛門。幕府付きの刀剣の試し斬り役・死刑執行人の七代目でありのちに吉田松陰や頼三樹三郎の斬首を請け負った人物である。

 テレビドラマシリーズの遠山の金さんでは金さんはステゴロ(素手で戦うこと)が多く、刀で戦う機会は少なめだ。市川段四郎さん、杉良太郎さん、高橋秀樹さん、松方弘樹さん、その他歴代の金さんは時代劇で名を知らない者はいない大俳優ばかり。刀を振るう姿はとびきり渋くかっこいい。それに加えて先ほど書いたような景元の逸話を聞くと殺陣のシーンももっと見たかったなという気持ちになる。金さんの貴重な殺陣シーンでは鋭く光る刀身と桜吹雪の共演が怪しくも美しい。実はこのコラムを書きながらドラマシリーズを見返しているのだが、やっぱり昔の時代劇には今とは違う迫力があって引き込まれてしまう。金さんを楽しむ私の日々はまだしばらく続きそうだ。

 

画像協力

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