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哲学
6

ドンドコドンドコドコドコドン

2019.07.19

自分は世界に馴染めていない気がする。

色んなものがでかい。机は高すぎるし、椅子にはよじ登らなければならない。ホワイトボードは大きくて届かないし、ファミレスのスプーンは口からはみ出る。左利きのひとは、右利き用に作られた社会に生きるストレスで、早死にする傾向にあるという。世界に馴染めていないわたしも早死にするだろうか。

子どもが乗っている自転車によく轢かれる。小さな自転車は、決してスピードを出している訳ではない。むしろよろよろと揺れながら、ゆっくり正面から向かってくる。目はしっかりと合っている。子どもはわたしを、わたしは子どもを見ている。そして、ゆっくりと轢かれる。

犬にもよく噛まれる。横断歩道で信号を待っていると、小さな犬がなぜかわたしの足首にかぶりついている。飼い主が、すみませんとリードを引っ張る。思わずこちらも、すみませんと謝ってしまう。かわいい犬は、牙をむき出しにしてまだわたしに怒っている。

そんなことがあると、落ち込むというよりも「バレた」と思う。子どもも、犬も、わたしが世界に馴染めていないことに気づいている。本当に鋭い奴らだ。

 

 

世界に馴染めない感覚は、社会やコミュニティに馴染めない、つまり人間関係が上手くいかないということではない。世界という秩序に対して、自分がうまく嵌まっていないような感覚と言った方が近いのかもしれない。

わたしは、わたしであることを手放して、世界ともっと触れ合いたい。

そう願うとき、わたしはよく右手で、左手首の側面をこすっている。
わたしの身体を縁取る輪郭を、消しゴムで消すようなイメージだ。
輪郭が消された手首の端から、わたしの中身がどっとあふれ出す。肉体が、色が、感情が、考えが、どばどばと流出して、わたしはとうとう単なる一本の線になる。

線となったわたしは、世界と隔てられることなく、ゆったりと浮遊することができるだろう。そんなことを夢想して、うっとりする。

だが分かっている。
それは無理だ。わたしは線にはなれない。
しかも、そんな夢想をするときはたいてい、ひどく緊張したり、何かに重圧を感じていたり、何かを負わなければならないと感じているときだ。ぐったりと疲れて満員電車に乗り込み、暗い窓にうつった自分の顔をながめながら、左手首をこすっている。わたしが「わたし」であることが必要とされていて、しかもそれがうまくいっていない。どこかずれている。「わたし」であることを要求されているのに、世界からわたしが滑り落ちている。もしかしたら、わたしがわたしであるという責任から、逃れたいだけなのかもしれない。

 

反対に、何かに没入しているひとはすばらしい。
線になることと、没入は似ているようで実は全く逆だと思う。何かに一生懸命打ち込んでいるひとは、そのひとがそのひとであることでみなぎっている。生き生きとそのひとは、そのひとであることによって世界に存在できている。サッカーに打ち込むあのひと、絵画を描くあのひと、研究をするあのひと、彼らは皆、自分を失うほど集中しているように見えるが、そうではない。彼らは決して自分を失ってはいない。彼らが何かに没頭することによって、彼らは彼らとして光り輝くのだ。プロフェッショナル。情熱大陸。密着取材を受けている彼らの、静かに熱く集中する精悍な横顔は、はじけるエネルギーに満ち満ちている。

それに対してわたしは、自分をすっかり手放してしまっている。ただの空洞に、どっと世界が流れ込んできているだけだ。わたしがわたしであることは、限りなくゼロである。情熱大陸に密着されたらどうしよう。わたしの横顔は、締まりがなく、空虚で不気味だろう。顔というものをどこかに落としてしまった、のっぺらぼうに映っているかもしれない。

 

ある昼下がり、喫茶店から出ると、駅前で和太鼓のパフォーマンスが行われていた。
赤い衣装に身をつつみ15名ほどが迫力ある演奏をしている。和太鼓に心を躍らせたわたしは、人だかりをかき分け、ちょうどスペースのあった三列目あたりに滑り込んだ。

最高の演奏だ。精悍な顔つきの青年たちが、生き生きとバチをふるっている。
体が振動でびりびりしながら、激しく感動する。頭の中のもやもやが、どんどん消失していくのを感じる。世界とのズレや、まなざし、そんなものは何も問題じゃなくなる。手首をこすらなくても、わたしはわたしから気持ちよく抜け出ていく。思考や感情は、言葉の形をとらなくなり、ドンドコドンドコドンドコドコドコドンドコドン、と音だけが響いている。わたしはもはや太鼓なのだ。

 

ふと、後ろから何かが聞こえるのに気が付いた。
ふりかえると、コンビニ袋を提げたおじさんが、口をぱくぱくと動かしている。じっと耳をすませると、おじさんは「ドンドコドンドコドンドコドコドコドンドコドン」と小さな声で呟いている。おじさんもまた、太鼓だった。

周りを見渡すと、おばさんも、おにいさんも、子どもも、犬も、みんな太鼓になっている。ドンドコドンドコドンドコドコドコドンドコドン、になっている。

それはゆるみ切った締まりのないものだったが、ひどく幸福そうな横顔で、わたしは少しだけ安心しドンドコドンドコドンドコドン。

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